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雨森は騙しやすい馬鹿なチョッパリニダ

2012/03/07 06:00

 

 

3月5日の長崎新聞Web版で通信使関係の記事を拾ったので紹介したい。
タイトルは「対馬で儒学者雨森芳洲をしのぶ」
朝鮮通信使@鶏泥棒と関係の深い対馬藩の儒学者、雨森芳洲の功績をしのぶ「芳洲会」が、対馬市某町で開かれたと記事は言う。
芳洲は江戸の名門塾で新井白石らと机を並べた秀才だが、儒学者としては大した功績も無いようだ。しかし朝鮮外交で活躍、「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」という「誠信外交」の精神 とやらを説いたそうで、記事ではそのことが功績であるかのように紹介されている。しかし当時それを誰かが評価したという話は伝わっておらず、現在誰かが同じように唱えたとしても、少なくとも国際関係学などの分野からは
失笑を買うだろう。国家間における外交は「武器なき戦争」にも喩えられるが、雨森先生にそのような考えは微塵もなかったようである。
ちなみに、反日サヨク吉田清治の作り話を発端として、日韓の外交問題に発展した、いわゆる「従軍慰安婦」だが、当初韓国政府は、日本政府がその存在を認めてくれさえすれば外交問題にはしないとの密約を申し出たそうだ。それを信じた河野洋平という無知無能の腐れ蛆虫が、あっさりと認めて「河野談話」を発表、韓国政府はしめたとばかりに密約を破棄すると、大々的に外交問題化して騒ぎ始めた。つまり詐術を用いて強力な外交カードを手に入れたわけだが、もしこれを「誠信外交」の雨森先生が知ったらどう思ったことだろう。
また記事によれば、現地の有力者が「芳洲先生が生きていれば、東日本大震災からの復興や、沖縄県の普天間基地移設などの難題をよい結果に導いてくれたはず」 などと賞賛したそうだが、そんなわけねーだろと突っ込んでおきたい。

 

 

 

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歴史を語る資格ニダ

2012/02/05 06:00

 

かなり笑えるMADを発見。基本的には韓国の歴史捏造全般を揶揄するような内容ですが、後半朝鮮通信使にも言及されているので紹介してみました。

 

ニコニコ動画 

【MAD】日韓歴史討論「歴史を語る資格」

 

YouTube版。ニコニコ動画のアカウントを持っていない場合はこちらで。

【MAD】日韓歴史討論「歴史を語る資格」

 

 

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牛窓町は通信使のお陰で栄えたニダ

2012/01/24 06:00

 

 

1月17日の毎日Jpの『お勧め・まちナビゲーター:牛窓かいわい(岡山県瀬戸内市) /中国』という記事におかしな箇所を発見した。

佐賀県の牛窓という港町を、リゾートを中心に紹介しただけのどーでもいいような記事だが、その町の解説として、
"江戸時代には朝鮮通信使の寄港地として栄え、歴史も古い。"
とある。

これは明らかに間違いだ。牛窓は「朝鮮通信使の寄港地」ではあったが、「通信使の寄港地として栄えた」わけではないだろう。20年に一度来るか来ないかの鶏泥棒が、その寄港地の盛衰にどれほどの影響を与えると言うのか。

そもそも牛窓は古代より海上交通の要所であり、軍船から商船まで様々な船が寄港し、江戸時代には参勤交代の西国大名たちも風待港として頻繁に利用したらしい。だから栄えたのだ。通信使なんか関係ないニダ。

ちなみに「牛窓」という名の由来は、神功皇后が三韓征伐からの帰途にこの地を通りかかり、なにやらすったもんだがあって牛鬼という怪物が転んだそうで、そのため当初『牛転(まろ)び』という地名になったものが、やがて訛って「牛窓」となったそうだ。

またその前段階の話として、神功皇后の夫である仲哀天皇が三韓征伐に向かう途中、この地で怪物を退治したものの自身も負傷、それが元で後に命を落としたという伝説もある。神功皇后はその遺志を継いで朝鮮半島へ遠征したというわけだ。

牛窓町は通信使行列が通ったわけでもなく、町の人々との交流があったわけでもないので、朝鮮通信使との縁はそれほど深いとは言えないが、朝鮮半島そのものとは因縁浅からぬ土地であるようだ。

  

 

 

 

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コスプレ行列を再現するニダ

2011/11/23 06:00

 

11月10日の埼玉新聞に通信使関連の記事を発見。埼玉県川越市でここ数年来行われている「復活!唐人揃い-朝鮮通信使-多文化共生・国際交流パレード」というイベントの紹介記事で、記事の内容にも少々突っ込み所があるのだが、今回それは無視してイベントそのものを少し突っついてみたい。
そもそもこのイベント、全国に数ある通信使関連行事の中では少し毛色が変わっている。主催者によると「唐人揃い」とは、朝鮮通信使を模倣した仮装行列のことであり、江戸時代に川越祭りの出し物のひとつとして行われていたそうである。つまりこのイベントは通信使行列の再現ではなく「通信使行列を模倣した江戸時代の仮装行列を再現する」という、少々ややこしい構造を持っている。
ではなぜそんなものを復活させたのかというと――朝鮮通信使は平和外交や文化交流のシンボルなので素晴らしいのです。
だからそれを模倣した唐人揃いという出し物も素晴らしい。それで多文化共生や国際交流の大切さを訴えるパレードとして復活させました――実行委員会のサイトなどを見たところでは、大体こんなような趣旨だと思われるのだが、どこかすっきりしないと言うか無理矢理感の漂う言い分に感じるのは私だけだろうか。
そもそも根本的な問題として、江戸時代の唐人揃いなる出し物が朝鮮通信使を模したものであったとする主催者側の主張が、かなり根拠薄弱なのである。そうであったと書かれた文献などは存在しておらず、またあるサイトには、唐人揃いは朝鮮通信使ではなく、琉球使節を模した仮装行列であったと書かれているが、そちらの根拠には説得力があり、おそらくそれが真相なのではないかと思われる。
またYouTubeなどに上げられているパレードの動画を見た限りでは、多文化共生だの国際交流だのを謳っているわりには、通信使行列を筆頭にサムルノリだの朝鮮舞踊だのとコリアン系の団体が圧倒的に多く、申し訳程度に他の民族衣装を着た人々が雑じっている
といった状態で、実質的には通信使+朝鮮文化を誇示するイベントになっているようである。
また「唐人揃いの再現」という趣旨の割には「国書交換式」まで行われており、これでは唐人揃いの再現ではなく通信使行列の再現ではないかと言いたくなる。
おそらくは、とある個人なり団体が、地元でも何か通信使関連の行事をやりたいと考えたが、埼玉は通信使のルートから外れているためにこれといった史跡が何もない、そこでかつて川越祭りの出し物として行われた唐人揃いを朝鮮通信使の模倣だったと強弁することで、通信使関連行事を行う名分としたのかもしれない。
では、なぜそこまでして関連行事やりたかったのかと言うと、通信使が日本に先進文化を伝えてその発展に大きく寄与したなどという、韓国側の主張する偽歴史を信じており、
且つそれを日本人に誇示したいと考えているような人々の思惑が絡んでいるのではないかと思われる。

ちなみにイベントの後援団体として韓国文化院だの民団だの総連だのが名を連ねているようだ。

 

 

 

 

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200周年記念ニダ

2011/11/13 06:00

 

 今回は11月7日の朝日新聞長崎県版の記事を弄ってみたい。

 なんでも今年は最後の通信使がニダニダと朝鮮からやって来て200年目に当たるそうで、鶏泥棒に縁のある地域の関係者が対馬に集まって記念の大会を開いたそうだ。例によって顎足付きで招待された韓国人たちを交えた通信使パレードも行われ、最後に国書交換式なるものの"再現 "があり、朝鮮通信使の派遣を"世界に誇れる史実 "などと礼賛する頓珍漢なメッセージを国書に見立てて交換したそうである。ついでに将軍に贈る貢物の献呈式も再現したらどうかと皮肉のひとつも言いたいところだ。彼らが行っているのは「世界に誇れる善隣友好使節」という空想物語の上演であって、「朝貢使節の派遣」という史実の再現ではないのである。 

 

 

 

 

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北斎が描いたのは朝鮮通信使ではなく琉球使節

2011/11/10 06:00

 

北斎が描いたのは朝鮮通信使ではなく琉球使節

 

世界的にも有名な浮世絵師、葛飾北斎が描いた「東海道五十三次」の中に外国人らしき人物が登場する画が二つある。

一つが「由井(第十七景)」。旅宿と思われる場所で、僧侶が墨をすり、外国人風の人物が「清見寺」と揮毫している光景だ。

 

北斎『東海道五十三次・由井』

もう一つは「原(第十五景)」で、雄大な富士を横手に眺めながら街道を行く外国人風の集団が描かれている。

 

北斎『東海道五十三次・原』

 

これら二つに描かれた外国人が朝鮮通信使であるとする記事やブログをいくつかネット上で見たことがあり、筆者も最近まで真に受けていたのだが、どうやら間違い(もしくは何らかの意図によるミスリード)であることに気がついた。 

 北斎存命中に朝鮮通信使は二度行われたが、一度目は北斎がごく幼い頃であり、二度目は幕府の財政難もあって対馬までしか来ていない。だから北斎はその目で実際に通信使を見てはいないと思われる。それに比べて琉球使節は北斎存命中に六回、北斎が誕生した1760年から「東海道五十三次」が製作された1804年までの間だけでも三回は日本を訪問している。

また浮世絵とはその時代を活写する風俗画であるが、すでに前回の来貢から40年を経た1804年の時点では、朝鮮通信使など古臭い過去の出来事でしかなく、その年に製作された「東海道五十三次」の題材に選ばれるとは考え難い。それに比べて琉球使節は前回の来訪から八年ばかり、次の江戸上りを二年後に控え、当時の人々にとっては胸躍るようなカレントトピックであったろう。

 それら諸々を考慮すれば、北斎の「東海道五十三次」に描かれた外国人は、朝鮮通信使ではなく琉球使節であったと考えるのが合理的というものだ。

 

ちなみに北斎は琉球に行ったことはないが、中国の「琉球国志略」という書物を参考にして「琉球八景」という作品も残しており、当時の人々の琉球への関心の高さを伺わせるエピソードとなっている。
 


「琉球人行列彩色」より

 

 

 


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やい倭人、ウリの子供に会わせるニダ

2011/11/07 06:00

 

 地方紙の大阪日日新聞に朝鮮通信使関連の記事を見つけた。どうでもいいような話だが他にこれといったネタも無いので少し弄ってみたい。「大阪あそ歩」というタイトルの連載記事で、小さなツアーを組んで大阪市内の旧跡を訪ね歩くという企画のようだが、今回は九条という地区を紹介している。

 そこには朝鮮通信使の墓があるのだという。眠っているのは金漢重というもので、旅の途上で病に倒れ、九条地区の寺で養生することになった。彼には二人の子供がいたそうで、"望郷の念にかられて子どもに会いたいとすがる金の姿に、大坂の医者たちが心を痛め、同じ年頃の日本の子ども2人を呼び、わが子に見立てて看病させた "そうである。

 当時の交通事情や出入国制限を考えれば、たとえ大名クラスが奔走したとしても朝鮮から子供を呼び寄せるなど不可能に近いだろう。一国の外交官ともあろうものが、ただでさえ病気で厄介をかけておきながら、そんな無理難題を吹っかけて他国人に「すがる」とは、節度に欠けるというか情けないというか・・・記事では「悲話」と紹介されているが悲話とするには違和感がある。滑稽譚と言ったら言い過ぎか。

 まあ、重病で意識朦朧となった末のことなら理解もできるが、それならそれでその旨を記事内で言及しておくべきだ。書かれたままを素直に解釈すると金漢重は単なるワガママな馬鹿に見えてしまうではないか。

 

 

 


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豚に真珠

2011/10/21 06:00

 

最近、中日新聞石川県版に「朝顔や つるべとられて もらい水」などの句で知られる俳人・加賀の千代女に関する連載記事が載っている。千代女は藩主の依頼で、いくつかの掛軸と扇子に自作の俳句を揮毫し、来貢中の朝鮮通信使に贈呈したことがあるらしい。それらの掛軸や扇子が今でも韓国に残されているかどうかについて記事は触れていないが、残っていれば大きなトピックであるから言及されないはずはなく、そう考えるとやはり残存してはいないのだろう。中国文化絶対主義であった当時の朝鮮人たちに、日本文化の粋である俳諧の価値など分かるはずもなく「もっと金目のものを寄こすニダ」などと内心苦々しく思いながら受け取って、帰国した後も粗雑に扱ったのかもしれない。しかし幸いにも日本側にどのような句を送ったかについての記録が残っており、それを元に中日新聞石川県版が週に四回数句づつ紹介しているようである。

 

 

 

 


 

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鶏泥棒動画

2011/09/27 16:57

 

YouTubeで「鶏泥棒」を検索中に発見。

製作されてすでに半年以上経つのにまだ300ビュー程度しかありません。

なかなかの力作なのにもったいないと思い紹介させてもらいました。

 

 

 

 

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ニダニダアラカルト

2011/09/14 07:26

 

 

更新をサボっていたここ二ヶ月くらいの鶏泥棒関係のニュースを検索して目に付いた記事があれば手短に紹介して寸評を加えてみようというわけで、まずは8月19日の山陽新聞。国内の韓国人学校の教師120人が瀬戸内市牛窓町なるところに現れて鶏泥棒ゆかりの史跡や遺物など視察して行ったそうだが、チンケな鶏泥棒たちも韓国人の間では遅れた日本に先進の文物を下賜してあげた高貴な文化使節ということになっているらしいので、教師たちもさぞや鼻高々で鼻息荒く見学していったのだろう。下らん。次。8月20日の毎日地方版。山口県下関市で恒例の馬鹿まつりじゃなかった馬関まつりが開かれ初日の呼び物として鶏泥棒の行列が再現されたそうで、行列には韓国人も100人ほど参加したらしいのだが、8月初旬に起きた自民党三有志による鬱陵島訪問騒動でキチガイのような反日騒乱を繰り広げたばかりの韓国人もこういう時にはいそいそとやって来るんだな。くだらん。次。9月13日毎日新聞佐賀版。津市の県立名護屋城博物館で「江戸時代の“韓流ブーム”」と題して鶏泥棒の関連資料などを展示しているそうで、記事は "朝鮮王国が日本に派遣した公式の外交使節として、江戸時代に計12回総勢300~500人が来日した当時の熱気は、今日の韓流ブームにも通じるところがあったという " などと見てきたような嘘を書いているが、「寒流」と揶揄されるような糞白けた捏造ブームのどこに熱気があると言うのか。熱いのはブームを仕掛けようと躍起になっている側だけで見ている側はあまりに寒々しくて凍えそうだ馬鹿野郎。くだらん。おしまい。

 

 

 

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